青山大学柔道部 栄光の歴史

 

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学年別歴史



昭和40年卒業(1965年)

水口  守

塩田 琢蔵

井上 知二

大島 宋元

宮森 健一

山中 義英

若月  攻

奥田 金晴

斉藤  勉

岩辺 英俊

真尾 彰一

斉藤 友康

水口先輩の自然体の柔道とそこからでる小外刈りは華麗。塩田先輩の得意技は一本背負いと思いますが、あまり良く覚えていません。力が強く、寝技でよく泣かされたのを憶えています。井上マネージャ、若月先輩には、入学の時に大変お世話になりました。


昭和41年卒業(1966年)

山口 哮志

牧 加藤太

町山 友義

関野 克三

伏見 洋祐

山口 有司

山本 兵輔

秋山 賢二

片岡 修次

織田 等正

長坂 達也

上野 浩生

東京大会で、立教、慶応を破り、今まで果せなかった念願の全日本出場権を得る。スポニチには、青学大にも男の子がいたの見出して取材が入った。長年の夢だった全日本出場が叶った瞬間でした。 思い出の試合は、全日本で天理大と対戦、先鋒の山口先輩が天理の妻鳥を得意技の小股掬いで破った試合。また、牧先輩は弱い相手にも勝てないが、強い相手にも負けないことで有名でしたが、中央大のオリンピック中量級金メダリストの岡野に臆することなく、淡々と試合をして、引き分けに終った。岡野は中量級ながら、全日本にも2回優勝するほど強かった。


昭和42年卒業(1967年)

岸  実

磯崎 利明

山本 八郎

井上 紘明

渕脇 正人

渋川  奨

萩原  豊

野田  武

渡辺 謙吉

岸先輩には、高校、大学、また卒業後も大変お世話になりました。高輪高校から青山への道を開いてくれたのも岸先輩です。そのあと、渡辺、矢沢、浜中、森、名取、平林へと続きました。岸先輩は、卒業後、監督として長年母校の為に尽力しています。沢山の後輩がお世話になっています。


昭和43年卒業(1968年)

野口 泰三   日大二高

           軽重量級全日本学生優勝

           69年全米優勝

渡辺 光敏   高輪高校

           68年全米優勝

田中 邦由   青山高等部

須合 一幸   青山高等部

高品 高彦   銚子高校

駒井 勝之   吹田高校

丹羽  進   桐生高校

岩沢 健太郎   鶴見高校

生駒 俊夫   昭島高校

我々が2年生の時に、東京都予選で立教、慶大を破り、全日本に初出場しました。そして4年生の時には、全日本で法政大学を代表戦で破り、全日本ベスト8に輝く。また、その東京都大会では、優勝校の明治大学に1対1の内容差で敗れたものの場内を沸かした。

個人戦では、野口が軽重量級(93キロ)で全国制覇は果す。この記録は、青学でも最初で最後の快挙と思う。渡辺は卒業と同時に渡米、68年度の全米選手権に優勝、また翌年69年度に野口が渡米して全米を制覇した。2年連続の偉業と言える。全米選手権では、各級の優勝者が対戦してグランドチャンピオンを決める。その決勝戦では、全日本中量級学生優勝者の早大OB山下や、重量級の世界3位、その後プロレスラになったバッドニュースアレンも破っている。

思い出の試合として、3年生の時、早大との団体戦で、高品が見事1本で決めたのは豪傑。

須合は、明大の主将湯浅と引き分けたのを自慢にしている。田中は、超100Kの巨漢で神永のような風貌で相手を萎縮していた。岩沢は東北学院の試合で破れ、5リン刈りを余儀なくされたが自慢の鬢だけは剃らなかった。生駒のねずみ落としもあったような。


昭和44年卒業(1969年)

鳥海 寿郎

佐藤 一彦

石沢 祥市

松本 民生

浜中  進

小堀 克己

吉田 啓一

伊藤 勝俊

矢沢 靖興

佐竹 正夫

小坂 安彦

永沼 郁夫

古瀬 雅勝

田中 晴之

宮下  寛

オールミション大会は第1回〜第12回まで同志社大学が優勝していましたが、この年、第13回目で我が青山学院大学が、初めての優勝。その時のメンバーは、鳥海、石沢、森、上野、柳、大畑、林、名取、鈴木、岡、荒井、中村でした。

 石沢は、軽量級(68K級)で世界選手権に出場。青山でも世界選手権に出場したのは、最初で最後かと思う。石沢の背負い投げは強力であった。力も強く、私は、寝技の稽古中にあの力で締め落とされたことがある。


昭和45年卒業(1970年)

森  暁夫

上野 成夫

岡崎 嘉彦

柳  均

大谷 茂生

名取 弘人

林  晃一

大畑 広起

後藤 秀昭

押尾 幸一

山中 広之

萩原  弘

森は、小柄な選手であるが大きな相手に対しても良く戦った。足技を武器として、足払い、大外刈りで強敵を倒した。また、大きな強豪にも負けずに戦った。思い出の試合は、東京都の全日本予選で、学生中量級チャンピオンの早大の山下を破り、警視庁の大男、前田に善戦した。もう少しで全日本の出場権を獲得するところであった。

上野も左支え釣込み足を武器にレギラー選手として活躍した。岡崎は、柔道より飲みっぷりと唄では柔道部一、多いに飲んで皆と仲良く楽しんだ。若くして亡くなったが、生きていて欲しい男である。

林与一は、誰にも負けないが、誰にも勝てない選手だった。林がでれば誰とでも引き分けるので、我校にとっては、貴重な選手であった。選手として多いに引き分けで活躍した。


昭和46年卒業(1971年)

鈴木  隆

岡  隆久

荒井 利光

中村 清二

大熊 幸男

松本  淳

新村 清夫

押本 恒夫

多昌 英成

牧内 千恵子

鎮西からの鈴木は寝て強かった。試合上手で危なくなると寝て勝負できるので、大きな試合で、どんな強敵にも負けずに引き分けができる選手であった。山口水産の岡は、柔道部きってのハンサムであり、技の冴えも素晴らしかった。左の内股を武器に良い試合をした。中村清二は、真面目でよく稽古をし、その努力が実り軽量級だが、レギラー選手して活躍した。

昭和47年卒業(1972年)

千疋 仁一

神守 恭二

大野 利信

松本 敏和

平林  滋

小森 保敏

熊谷 省三

新井  博

佐々木  篤

長島 富士夫

森田 耕司

宮森 英昭

安東  修

勝野 六洋


昭和48年卒業(1973年)

切通 和実

熊谷 政典

徳永 真一

水野  進

近藤 守澄

田原 耕三

神  泰郎

この時代に、全国ベスト4の快挙を成し遂げる。団体戦としては、全国3位が最高記録である

昭和49年卒業(1974年)

新原 宏洋

大草 隆三

島田 邦男

古沢 和輿

中村 隆志

庄司  優

加来 徳美

関  成章

嘉穂高校卒の新原は、全国の高校選抜に選ばれた選手で、青山に入って1年からレギラーとして出場、全国ベスト4に入った時の、主力メンバー。卒業後、米国に渡り、柔道の指導にあたる。